
今回は、東京パラリンピックの公式競技であるパラカヌーの協会の吉田会長へカヌーの楽しさやこれまでの道のり、そしてこれからの目標などについて、お話を伺いました。
拡大するコロナの影響を受け、選手達にも影響が出ておりそこに関しても憤りや悔しさを感じているとの事。 その中で、時には穏やかに、時には熱く、カヌーへの想いを語って頂きました。

【 プロフィール 】 吉田義朗(よしだ よしろう) 1952年生まれ 39歳のときにカヌーと巡り合いその後モルベンに勤務。
障害者パドラーの草分けとして知られ、1995年に障害者カヌー協会を設立
「他の水上スポーツと違うカヌーの魅力」
まず、何より" 前向き!"
ボート等は後ろ向きに進むけどカヌーは常に前のめりで進んでいくということ。
今注目されているのはスプリント、陸上競技でいうと100メートル走。それだけでなく陸の上で出来ることは基本的にカヌーでは全部出来る。知ってる人は少ないが実はカヌーポロというチームプレーもあって舟と舟を繋いでの水上運動会もしている、例えば運動会でいう綱引きなんかもあるし、玉入れも出来るし、出来な いのは騎馬戦くらい。本当は色んな可能性があるスポーツだと思う。 だから障がい者もスラノーム(急流下り)を出来るようにしたい。自分のテクニックも必要だし、水を読む等の頭を使うことも必要になってくる。力業だけではないので海外の選手だけでなく日本人選手も活躍できると思っている。クラス分けや種目も今後はもっと増やしていきたい。
「オリンピックとパラリンピックを別けなくていいと思っている。」
純粋にスポーツとしての楽しみを表現するには分ける必然性はないと思っている。
もちろん障がいを持っている人間に対してはハンディを与える必要はあるとは思うが、オリンピックの中にそういった種目を作ればいい。100メートル男子や200メートル女子などの種目が分かれている様にハンディのある種目があればいいと思う。
「パラスポーツの現状について」
マイナー競技のカヌーでさえプロの選手が存在する。
障がい者の一人の生き方としてはあっていいとは思う。でも、少しおかしいとは思う。
例えばプロ野球やサッカーやテニスなどはプロの基盤があるから出来ること。
カヌーはその基盤がない。
パラではないカヌーのメダリストの選手でさえ実費でヨーロッパ留学をしていたり決してプロとは呼べなかった。ところが、パラリンピックになってカヌーをやれるだけでプロと呼ばれるようになった。
例えば、車いすテニスの国枝選手がプロとして呼ばれるのは車いすテニスの広まりなどを考えると理解が出来るけれど、パラカヌーの選手でもプロの選手としてやっている選手が出てきているのはブームが過ぎ去れば泡のように消えるのではないかと感じている。
だからこそ、まずはその基盤としてカヌーを色んな人たちに知ってもらうことが大切だと思う。そこからプロが誕生するのはいいことだと思う。スポーツっていうのは本来好きだからやるとい人が多い。けれど、もちろん世の中には、スポーツが好きでも出来ない人はいっぱいいる。今のこの状況を見ていると、スポーツ本来の持つ力や好きだから楽しむという文化がお金によって左右されるため潰されるのではと思っている。
これはカヌーだけでなくて他のマイナー競技にも言えることで、プロの選手として週に一回だけ職場に行くとういような形で雇われて、それで幸せなのか?とはよく感じる。その中で、よく" 共生社会 "と言われるが、そういった基礎などを掘り下げないと表向きに言葉を使うだけで終ってしまう気がする。 初めて車いすを使っている重度の障がい者を見たときはカルチャーショックを受けると思う。「あの人生きてるんだ」ということがわからないとか、自分も車いす生活になった時はそうだった。だからこそ、そんな人たちが体を動かすスポーツをやることが大事だと思う。そういった深いところにパラリンピックがどこまで踏み込めるのか?がないと本当の共生社会はできないと感じている。
「今の若い人は自分の意思がない人が多いが、その人達に対して感じること」
最近周りに若い人がいないので何とも言えないけど、最近の若い人は言葉が正しいかわからないけれどズル賢くなったなと感じる。本当は色々と考えているとは思うが、それを言わなくて顔を隠してネットやSNSで書き込んだりするのかなと。 国会中継をネットで見るとチャットで意見をズバズバと書いている人はいるが、あれは名前を出さないから出来ることだから。
「ご自身の若いときとは違いますか?」
自分はこの歳になって失うものが無いから色々と考えを話せるけど、若い人達は違うのかなと。 ただ、若い人にも「失うものは無いだろう」と言いたい。
自分は若い頃は頭がないと自分で考えていたから、何か行動するにも体当たりだった。
今ではパラリンピックがあるお陰で色んな人達に会えた。それがなかったら奈良の川でカ ヌーをやっているだけだった。
そういう意味では自分はここに来ることを選んだ。その選び方は自分としては間違っていたとは決して思わない。積極的に選んだ。それこそ最初に言ったように" 前向き!"
「若い人達に伝えたいこと」
この歳になって思うことは正義と悪は二分されることではないかなと思う。正義と悪は表裏一体であると思う。
「障がい者、健常者とカテゴリーされずに個人の特性として社会に浸透していくにはどうするべきか」
やっぱり子供の頃からの環境が大事なのかなと思う。
子供の頃から車いすの人達と一緒に過ごす機会があればその健常者自身も人間的に豊かになると思う。あとは知的の障がいを持っている人達とも子供の頃から触れ合えばいいと思う。最初から共存してかなったらダイバーシティなんて不可能だと思う。
「若い人たちが何か困難に直面した時にどうやったら乗り越えていけるか」
やっぱり行動することかな。
そこは、やっぱり障がいがあっても乗り越えていくべきだと思う。
達成感は与えられても生まれるものではない。自分でやってこそ。
与えることに慣れてる、それを得るために自分の努力を詐称して説明することなく若い障がい者に伝えていくことが大切だと思う。
でも、伝えられていないと思う。
「それは、なぜ伝えられていないと思うんですか?」
そもそもこんな風に(取材みたいに)話せる機会がないから。
例えば、自分が自動車免許をとるのにめちゃくちゃ苦労した。だって免許を取るには自動車が必要だけど、当時は手動運転装置なんてなかった。たまたま友達に自動車の整備士がいたから作ってもらえたけど、それを持ち込める場所が一ヶ所しかなかった。今は補助の運転装置があるし、各都道府県に一ヶ所は車いすでも操縦できるものもおいてあるが当時は無かった。それはやはり知らないから、伝わってないから" 健常者、障がい者に関わらず今、自分が生きているということは当たり前のことではない "ということ。結論に持っていく過程の中で何を考えるのかを大事だと思う。それを大切にしていきたい。
だからパラリンピックにしてもある種の冷めた目で見ている。でも、乗せられていることもあって、自分が自分としてとはずれていると感じるところがある。
オリンピック、パラリンピックでは合同会議という、年に 1〜2 回、会長も来て話したりする場があるけれど、車いすを使ってる人は100人程いる関係者の中で 5〜6人位しかいない。
でも、車いすの人がいて発信するということは、そこにいる人が意見を聞いたということになる。意見を言わない障がい者がいっぱいれば、そこにいるかもしれないが結局はいることにはならないと思う。 だから、しっかりと意見を言うことは大事だと思う。
自分は成田の三里塚闘争に参加していてそこで生き埋めになり今の体になった。
だから貰った人生。でも、今でも走りたいとも思う。広いところを走りたいし風を感じたいとも思う。そんな気持ちを持っていることを認めたらいいと思う。人生綺麗なことだけではないと思う。自分も綺麗な人生ではなかったかもしれない。でも、胸を張って言えるのは、金儲けをしようとして自分を動かしたことはない。自分にとってやっぱり人生は金ではないと思う。生活水準では豊かではないかもしれないが気持ちは豊かだと思う。
「パラカヌーのヴィジョン、やりたいこと」
選手に約束していることがあって......パラカヌーの選手は本当は綺麗な水で練習したり漕 いだりというのはなかなか無い。だから、いつかカナダのユーコン川に行こうと言っている。化学物質もないしオーロラも見れるし、とても綺麗な場所。ただ、そこでは自分達でテント やトイレを建てたりしないといけない。そこでは自分のことは自分でやるしかない。そうい ったことも選手にやらせたい。カヌーを通して自分で何かをやるとか生活をするなどの経験をさせたい。それが今の夢で来年やりたいと思っている。小さな世界でいるだけではわからないことが って、それは障がい者に関わらず、違う世界を見ることを経験させたい。
「競技の世界とそれ以外の世界について」
競技の世界とこういった遊びの世界に分かれているが、本来はあまり分けてはいけないとは思う。
ただし、競い合うことを重視して、分けようとする力の方が強いかなと感じる。そこが少し残念かなと感じる。
一番思うのは頂点の選手がいて、その人を支える周りに脆弱さを感じる。
健常者を含めて今のカヌーの会員が200人。会費だけでなくパラサポやJPC の支えで成り立って生きている。そういった依存した構造がダメだと思う。
もう一つの夢というか目標として、具体的には会員を1,000人にしてその次には2,000人にしたい。
エベレストだって8,000 メートル近い梺には5,000メートル近い大地がある。
だから、これから本当の意味で発展させていくにはしっかりとした支えが必要になってくると思う。 生意気な言い方をするとそういった素材をこれから与えるつもりでいる。

約一時間の取材時間をノンストップで語ってくれた吉田会長。
今生きていることは決して当たり前ではないこと、前向きに挑戦し続けることの大切さを感じることができました。
一般社団法人 日本障害者カヌー協会
https://www.japan-paracha.org/